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静岡市立西奈中PTAホームページの管理人日記。こどもは卒業(H16年卒)していますが、「西奈中が大好きです」を合い言葉に活動するPTA-OB会”ちゃP会”に所属。地域から西奈中を応援しています。
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■浜松まつり2012

浜松まつりに行ってきました。


5月4日、昨日の雨がうそように晴れ渡った連休2日目。
去年は東日本大震災の影響で中止になり、2年ぶりに開催された浜松まつりに家族で出かけけた。


浜松っ子にとって待ちに待った凧あげと屋台と練りの時期だ!


私も浜松を離れて37年になるが、この時期になると浜松祭りの練の独特なラッパと太鼓のリズムが聞きたくなる。
子供時代は、3日間は朝から夜まで、祭り一色だった。(昔は、5/4は祝日ではなかったが、浜松では学校が休日だったと思う。)


当時の凧揚げは、中田島砂丘ではなく、静大工学部の近くにある住吉公園(戦前の練兵場)で行われていた。
まだ祭りに対する認識も、観光のためにも市を挙げて盛り上げるという感じではなく、不良の遊びという感じだった。そのため、参加町もまだまだ少なく(減少傾向にあった)、旧の旧の浜松市内(街の真ん中)のみで40から50ぐらいだったと思う。


私の町は「海老塚(えびつか)町」。凧のマークはカタカナの「エ」、はっぴのマークは「丸い海老」、屋台は黒色が基調、提灯はピンクと水色が基調。


おまけに、驚くことに「中学生は教育委員会の指導で参加禁止」だった。ということで、私の祭りへの参加は小学生まで、次は、次は就職してからの数年となる。


今は、祭りに参加するのではなく、観光客として見学するだけになってしまたっが、それでも、この時期になると、やはり浜松の血が騒ぐ!


今回は、凧揚げ会場には行かなかったが、久しぶりに御殿屋台を見たので紹介します。


《御殿屋台とは》・・・・ 参照:浜松まつり会館

 「浜松まつりの御殿屋台の始まりは明治の末頃。凧合戦の帰りに大八車の四隅に柱を立てて凧を屋根がわりにして引いていたところ、伝馬町若松座の森三之助丈という役者が芸者衆と一緒になって鐘や太鼓ではやしたてたのがきっかけと言われています。

 造花や提灯を飾りつけた底抜け屋台が登場したのは大正4年。

 昭和3年頃から各町が競って格調高い屋台を造るようになりました。

 昭和6年には二重屋根で彫り物がたくさん嵌められた重層唐破風入母屋造りなどの御殿屋台が続々登場。現在の絢爛豪華な御殿屋台が浜松まつりの夜を彩るようになりました。


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まとめtyaiました【■浜松まつり2012】

浜松まつりに行ってきました。5月4日、昨日の雨がうそように晴れ渡った連休2日目。去年は東日本大震災の影響で中止になり、2年ぶりに開催された浜松まつりに家族で出かけけた。浜げと屋台と練りの時期だ!私も浜松を離れて37年になるが、この時期になると浜松祭りの練の独... ...